↑これを読んで。
「ナーシャ伝説がまた一つ増えたか……」と最初は思ってたのだが、某掲示板の連中の意見は「ナーシャだろ」と「河津じゃね」で半々であります。
ふむ。
これが私の書いた「ぼくのかんがえたファイナルファンタジーの幻獣の仕組み」へのこっそり返答の一つと見るならば。まあはっきり書いちゃうとナニがアレだしねぇと言いつつ、私は河津秋敏であると断定します(個人の感想です)。外野は誰に気兼ねしなくてもいいので気楽に言っちゃう笑。完全に外野ですよ、ゲームのみならずオタク業界に関わったことは皆無です。
確かにこの時代ならその気になれば、逆アセンブルもできないような仕込みしてゲーム内容をコントロールすることもできたかも知れないね。でもナーシャはそこまで強硬派ではない気がしますよ。イースターエッグ仕込む程度の茶目っ気はあるだろうけど、ストーリー本編にまで手を入れようとか、そこまでのこだわりはなさそう。そもそも RPG って何か知らんまま FF こさえてたらしいし。
以前に『Sa・Ga』とは何かって定義は自分の中ではあると書いたと思うけど、実は定義は複数あってね。そのうちの一つは「河津がこさえたらサガ」てことなんだ。
天才肌で作家性が漏れ出るタイプよな。『FF2』でも漏れ出ちゃったということかと。ちと癖が強すぎるため最前線にこそ出てこないが、根強いファンがつくので消滅もしないっていう作家。いるいる。
それなりのブランドはあるから河津がいなくなってサガだけ作られ続けることもありうると素人さんは思うかも知れないが、ていうか3には河津関わってないわけだが、それもうサガじゃないってファンは思うよ。少なくとも私はそう思う。
河津に関しては基本的にスペックは高いのと、FFの早い時期からのメンツだから人を見れる上司の采配でうまいこといったかなっていう。プレステ以降に出てきたとして同じように運んだかはちょっとわからないね。ノムリッシュスレの定型文においてはAさんの理想の上司みたいな立ち位置で描かれることが多いけど、実際はどうなのかねえ。こういうのが幻獣を生むんだよねえ。
坂口は当時の社長が拾ってきたナーシャに「働いていただいた」経緯から始まり、天才を引っ張ってきて仕事させる天才として『FF』をこさえてきた人だから、才能としてはディレクション寄り。『FF』については坂口の作家性のコントロール下にあると言えるのは『5』が最後でしょう。『6』からは任せられるところは全部任せることにしたみたいだし、ディレクションした『10』までにしても「坂口がこさえたらFF」とはちょっと言いにくいところはある。でもサガは河津、これは間違いないわな。